ワタリドリ生活

ADHD20代の生活記。最近は食レポ多め

スポンサーリンク

無知が人を傷つける話(旧:体質や性質で攻撃される理由)

先日、トリーチャー・コリンズ症候群の方のドキュメンタリーを観ました。
それを見ていたら、何だか思うところがあったので、いろいろと考え、まとめてみたら、こうなったというお話。

 

さて、「みんなの歯学」さまでは、この病気を以下のように説明しています。

トリーチャーコリンズ症候群とは、下顎骨と顔面骨の複合奇形で、下顎顔面異骨症とも呼ばれています。
常染色体優性遺伝の病気です。
眼が下に垂れ下がり、下顎が小さく短いため、鳥のような顔貌を呈します。
新生児のうち、10000人に1人が発症するというデータがあります。

ドキュメンタリーに出ていた方は、このお顔の病気以外は精神疾患知的障害もまったく何もない、至って普通の方でした。けれど、外出時はマスクをつけないと外に出づらいのだそうです。なぜか。

そのまま外に出ると、「ただの他者から奇異の視線を向けられる」からです。

 

もう一つ、別の例です。
小学校の時、クラスではいじめが起きていました。あるクラスメイトの「体臭が臭い」ことによるいじめです。その子に対して「臭い、臭い」と言い、消臭剤を机に置いたり、「臭いから寄るな」と言ったり。

その子は毎日お風呂に入っていました。そして、その子の体臭は、実はその子のお家独特の臭いでもありました。

二人に共通するのは、
「自分ではどうにもならない理由で、他者から攻撃を受けていた」ことです。


日本は、障害や疾患があっても生きていける社会の構築をしてきました。バリアフリーノーマライゼーション障害者手帳……。

しかし、それは制度やインフラの構築です。
現代日本に住む人々の「こころ」が、障害者や患者を受け入れられる環境を整えてきたかどうかとは、また別の話なのです。

 

なぜ、二人は攻撃されてしまったのか?

障害があるから? 体臭がひどいから? いいえ、違います。
障害や疾患は、攻撃行動を相手に引き起こさせる要因の1つにはなりえますが、
決して攻撃の理由にはなりません。

 

攻撃されてしまった理由の1つには、加害者の「無知」被害者の「環境への不適応(と見なされたこと)」があります。

①加害者の「無知」

人は、「未知」に対して「不安・恐怖・不快」といった感情を抱きます。
SFやホラーでもおなじみのとおりです。うっそうとした夜の森の中に足を踏み入れ難いのは、その先に「危険」や「恐怖」が待ち受けているかもしれないと思うからです。
「無知」であることは、対象に対して上記のような感情を感じやすいということにもなります。

②被害者の「環境への不適応(と見なされたこと)」

最初に述べておきますが、被害者に「悪い」ところは一切ありません。
ただ、被害者がいた環境が「生きやすいものではなかった」
すなわち、被害者が「その環境には適応しきれていなかった」といえます。
適応していないのが「悪いこと」とは言っておりませんので、悪しからず。 

 

理解がなくて、慣れていないものは、「普通」じゃない

対応策の例として、1つ話をいたします。

伏見稲荷大社の前の屋台では「雀の丸焼き」が売っています。そのことを小さい頃から知り、食べることに慣れていれば何とも感じないでしょう。
しかし、雀など食べたこともなければ、食べる文化で育ちもしなかった友達は言いました。

「えっ、雀を食べるの? 気持ち悪い!」と。

どう反応するかは千差万別ですが、
なぜ雀を食べるのかも知らず、慣れていない人間にとっては、
雀を食べることは「普通じゃない」のです。

この時、友達を「加害者」、雀の丸焼きを「被害者」と例えることができます。

友達は「無知」ゆえに「雀を食べるの? 気持ち悪い」と言いました。
この時、雀の丸焼きの「不適応」とは、雀を食べることに不慣れで理解のない人の前に並んでしまったことです。
友達は雀を食べることに慣れていなければ、なぜ食べるようになったかも知らないのです。

加害者の「無知」は、「不慣れ」と「無理解」によってつくられます。
そして「理解」を得るには、ある程度、対象に対する見識や知識や経験などが必要です。


この友達に、「雀の丸焼き」とは、かつて稲を荒らす害鳥であった雀を退治するためにできた料理であり、この周辺では昔から食べられているものであると伝えましょう。

友達は納得し、こわごわと雀を食べて見るかもしれません。または、「それでもあんなかわいい雀を食べられない」と言うかもしれません。
いずれにせよ、その拒否の理由は、先ほどとはまるで違ったものとなっているはずです。

 

まとめ

・自分の価値観から外れたものや、自分が認識し、構築してきた世界以外から
来るもの(=未知)に対して、人は「不安・恐怖・不快」等の感情を抱く。

・その「世界の外」からくるもの(=未知)を、自分の世界に受け入れること

 それが「歩み寄り」であり、そのために必要なのが「理解」と「慣れ」。

・この「歩み寄り」によって、「未知」→「知」となり、
 それまでのような「不安・恐怖・不快」等の感情はなくなる。

 

※今回は、他人の「悪意」による攻撃については述べておりません。
 あくまで「無知」についてフォーカスしています。
 なお、「不適応」に関する対策についてはまた別記事で考えていきます。